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日本だけでなく、メジャーでもスーパースターとして尊敬されるイチローも、幼い頃はテレビの高校野球中継で地元愛知の代表校を応援する野球少年だった。

「熱心に見ていたのは、小学生のころ。野中(徹博)さん(元阪急)と水野(雄仁)さん(元巨人)との中京対池田(83年夏)とか、あの時代。享栄に藤王(康晴)さん(元中日)がいたりした時代ですね」

いつかは甲子園でプレーしたい―。そんな憧れを持ちつつも、高校へ入る時点で、目指すステージは異なっていた。

「僕の場合、そもそも甲子園に行くためというよりも、プロに行くために選んだ学校。おそらく他の選手とは、モチベーションが違っていました」

イチロー自身の記憶によると、入学当時は身長171センチ、体重63キロ。上級生に見劣りする体格だった。ただ、今や有名になった「空港バッティングセンター」での猛練習を軟球でこなしてきたイチローにとって、硬球への移行は、大きな利点だった。

「軟式から硬式をやることのメリットを感じましたね。ボールが硬いから変形しない。軟式はどうしても変形しますから、難しい。だから(硬球は)捉えるのが簡単、という感覚でした。名電はみんなも大きかったですが、打ったら僕の方が飛びましたから」

入学後のイチローは、すぐレギュラーに定着した。3年時には、エースとして背番号「1」を背負った。そこに至るまでは血がにじむような練習があっても不思議ではない。ところが、実際のイチローは正反対だった。

「寮生活でしたから、どうしても下級生の頃はやらされてました。逃げられない、サボれない。その当時は、みんなと一緒にそこそこやってました。3年生になると、いくらだってサボれましたから。投手で別メニューなんで、サボることばっかり考えてました」

これまで、深夜に寮を抜け出して独自練習をしていた逸話も伝えられた。そんな「美談」を、イチローは笑いながら否定する。

「プロに入ってからそういう話が出ましたけど、実際は他の選手の方がやってました。僕はお風呂は1番に入らないと嫌。誰よりも早く練習を終わってお風呂 に入ってました。(高校で)全力で目いっぱいやってプロに入っても、プロではやっていけない、というのが想像できたんです。ただ、ドラフトにかかるのは倍 率でも難しいですから、最後の夏だけは、一生懸命やった、という感覚でした。そこで結果出さないと、ドラフトにかからないと思っていましたから」

当時は練習中に水を飲むこともままならず、投手は200球以上の投げ込みをするような時代。そんな中、イチローの考え方は先進的だった。

「ブルペンで捕手を座らせて投球なんて、ほとんどしたことがない。肩は消耗品、という考えがありましたから、練習でも100球まで。酷使してダメになっていく人が、その頃から何人もいましたからね」

 

20141028testUP